あなただけの物語を書く楽しみを。学ぶ自分を好きでいて欲しい〜シナリオライター楠本ひろみ先生
「いたずらなkiss」「ハッピーマニア」をはじめ、数々の人気ドラマを手がけてきたシナリオライターの楠本ひろみ先生。
20年あまり東京でキャリアを積んだのち、現在は出身地の大阪で後進の育成に力を注いでいらっしゃいます。
2021年から始めたストアカのオンラインレッスンでは瞬く間に人気先生となり、2022年ストアカアワード新人先生賞と優秀講座賞をダブル受賞!
「新人と呼んでもらえるなんて、くすぐったいですね〜!」と、茶目っ気たっぷりに受賞の喜びを伝えて下さいました。
「その道で結果を残している方とお会いすると、行くべき道を進まれて来たのだと感じるんです」と感慨深く語る楠本先生。そんなご自身もまた、紆余曲折しながら輝かしいキャリアを築いてきました。
今回のインタビューでは、シナリオライターを職業としたきっかけや、教える活動をはじめた経緯や新たな試みまで、楠本先生にたっぷりとお話を伺ってきました。
(取材日:2022年11月22日)
青天の霹靂を乗り越えて〜シナリオライターへの道
ーシナリオライターになるには、どのような経緯を踏まれたのですか?かなり狭き門だと感じますが。
楠本ひろみ先生(以下略):確かに「なりたい」と思っていても実際になれる人は一握りの職業かも知れませんね。
話せば長くなりますが、私がシナリオライターになれたのは、人と人が繋いでくださったご縁のおかげだと思っています。
私は小さな頃から、とにかく本や漫画が大好きで、学校の休み時間も読書ばかりしているような子どもでした。
「いつかは自分で物語を書いてみたいな」というぼんやりとした夢はありましたが、シナリオライターや脚本家なんてコンクールで入賞するような才能溢れる人だけの職業だと当時は思い込んでいました。
そして「私には絶対に無理」と、チャレンジさえしませんでした。
ですので、学生時代は特に脚本家になるための勉強やコンクールへの応募などもせずに過ごし、大学卒業後は旅行会社でOLをしていました。
なぜ旅行会社かと言うと、学生時代はバックパッカーをしていて『地球の歩き方』をバイブルに世界中を旅行していたんです。
本当に、シナリオライターとは全然関係ない学生時代だったんですよ(笑)
ただ、その旅行会社も1年で退職しました。
旅行の企画をしたいと思って入社しましたが、相当の期間勤めないと任せてもらえないのが現実でした。担当になったのはビザの申請手続き。事務作業を繰り返す日々で、自分には向いていないと思ったからです。
そして転職活動中に、たまたま業界専門紙の新聞記者の募集を見つけて「そういえば書くことが好きだった」と思い出して、受けたら入社できたんですよ!
仕事で文章に触れるうちにコピーライティングに興味を持つようになり、会社に勤めながらコピーライター養成スクールにも通いました。
その後は、コピーライティング会社や広告制作会社に勤め、OLとしてキャリアを積みました。
会社では部下を持つ立場にもなり、多忙ながらもやりがいのある毎日のなか、「シナリオを書いてみたいな」とふいに思ったんです。
そうしたら、シナリオ学校に行っていたときの勉強会で一緒に学んでいた仲間から、同じ頃にたまたま連絡をもらいました。
その方は、ご自身の作品を書いて自費出版をされていて「同じ勉強会に通っている仲間の作品を、まとめて出版しないか」というお話でした。
有り難いお申し出にもちろん乗っかって(笑)、仲間たちとのグループ出版で初めての著書ができあがりました。
「せっかく作ったんだから売り込んでみよう」という話になって、
【私たちの才能を買ってください】なんて、いま考えたらビックリするような添え状を付けて、東京の制作会社など色々なところに送りました。
そしたら、その中の一社から「皆さんで企画を出してみませんか?」と声がかかりました。いくつか出したなかで私の企画が通り、なんとドラマになると言うではありませんか!
そこから、会社の仕事の傍ら、ドラマの制作会社の方と何度も打ち合わせや書き直しを重ね、やっとスタッフ顔合わせにまで辿り着きました。私も初めてフジテレビに行きました。
そこでドラマの監督として紹介されたのが、『踊る大捜査線』のディレクターとしてご活躍する前の本広監督だったんですよ。
一般的に新人ライターは、深夜の短編ドラマから経験を積んでいくものですが、私の場合はゴールデン枠のオムニバスドラマ(注)の1話を執筆することがデビューでした。
ーすごいお話ですね。まさにドラマみたい!
でも、この話には続きがあって、ドラマは放映されることはありませんでした。
このドラマの内容は誘拐事件を扱ったものでした。
シナリオも全て納品されて放映を待つなか、本当の誘拐事件が起こったんです。さらに被害者の方がお亡くなりに…。
放映日の1週間前の出来事です。そのような時期に放映は出来ませんよね。
同時に、今回のドラマでの経験をきっかけに、私は上京する予定で準備万端でした。
ドラマの制作中は大阪でOLをしていたので、有給を使って東京に行ったり、勤務中にこっそりシナリオを手直ししたりと、何とか両立していました。
でも、いま経験しているシナリオを書くことや、ドラマ作りの過程が刺激的で、上京してこれを続けて行きたい気持ちが増幅していきました。
テレビ局の方は「東京に来たって食えないから。大阪でちゃんとした仕事に就いてるなら、絶対そっちの方がいいって!」と親身になって止めてくださったのですが、私の情熱はそう簡単に消えやしません。
「これからプロのシナリオライターとして生きていくんだ!」と、勤めていた大阪の会社を退職し、東京の家も契約して引っ越しの手はずを全部整えていました。
ですが、せっかくのデビュー作品がお蔵入りに。
放映中止の連絡をもらった時は、本当に愕然としました。
ーその後、どうされたんですか?
上京してからは、ドラマのシナリオ以外のライティングの仕事でアルバイトをしながら、シナリオライターとして仕事をもらうために尽力しました。
すると、ドラマを担当いただいたプロデューサーさんからご紹介をもらったり、テレビ局の方から営業先を教えてもらったり、なかには「ドラマのこと知ってるよ。気の毒だったよね」と私のことを知って下さっている方もいらっしゃいました。
さらには「プロット、書いてみない?」と仕事をくれる方も出てきました。
そして、まずは深夜の15分ドラマから、シナリオライターとして仕事をいただけるようになりました。
普通は下積みからデビューですが、私はデビューしてから下積みという真逆のキャリアをたどりました。
そして、デビュー時も下積みとしての再出発時も、やはり人がつないでくださったご縁があってのこと。
その積み重ねで、20年あまり東京でシナリオライターとして数々のドラマや映画に参加させていただくことが出来ました。
震災からの帰郷。教える活動へ
ーどのようなきっかけで教える活動を始めたのですか?
きっかけは大阪に帰ってきたことです。
東京に出てきて20年以上、全力で書き続けていた日々のなか、2011年に東日本大震災が起こりました。
直接的な大きな被害はありませんでしたが、当時の東京での生活は余震が続き、さらに物資が不足していたりと不安も多くて、私も少しづつ精神的に参ってきてしまって……。
それに、大阪の両親も高齢になり、離れて暮らす心配も出てきた頃でしたので「大阪でときどきある仕事をマイペースで出来ればいいかな」と、ベースを大阪に移す決断をしました。
大阪に帰ってくると、次は「東京で積んだシナリオライターとしての経験を、若い人に教えてみませんか?」と声をかけていただく機会が増え、大阪の専門学校で教壇に立つようになりました。
ー現在はストアカで教えてらっしゃいますが、ご経緯は?
コロナの影響です。
専門学校では小説家や漫画家を目指す10代20代の方に対して「ストーリーの作り方」を教えていました。生徒のなかには日本の漫画を学びたい留学生も多かったんですね。
個性溢れる生徒たちに囲まれて「教える」という、新たなやりがいも感じていました。
それが、コロナの影響で海外からの学生が激減してしまって、とうとう私が担当している専攻科は経営判断で閉めることになってしまいました。
でも、学びたい子は少人数ですが、いるわけなんですよ。
「教えてあげられないのは可哀想だな」と、教え子たちの顔を思い浮かべながら考えました。
自分で場所を借りてスクールを開催するのはコロナ禍で現実的ではないと悩んでいた時に、インターネットで調べて辿り着いたのがストアカのオンラインレッスンでした。
学生たちも地方から出てきていた子も多かったので、「オンラインレッスンなら受講しやすいのでは」と、さっそくストアカに先生登録をしたという経緯です。
好きだったことをもう一度。距離も年齢も超えて学べるオンラインの学び
ーストアカの講座には、どのような生徒さんが参加していますか?
年齢層は幅広くて、専門学校時代の教え子から70代の方まで参加されていますが、40代・50代の女性が層としては一番多いと思います。
子育てが落ち着いて、やっと自分の時間を持てるようになったような方々じゃないでしょうか。
参加理由は「プロのシナリオライターになりたい!」という方もいらっしゃいますが、どちらかといえば「物語が好きだから」という方が多いと感じています。
「読むのは好きだけど書けるかな?」
「小説を書いてみたい」「絵本を書くのが夢」
「若い頃は書いていたけど、また書けるかな」などや
「趣味の俳句に活かしたいから」という方もいらっしゃいますし、理由はさまざまです。
他には、ブログを書いてらっしゃる方や、YouTubeの台本を書く方、啓蒙活動を文章化したい方など、ビジネススキルを目的とした参加も多いです。
そのなかで、ストアカをはじめて一番良かったと感じるのは、やっぱり色々な地域の方に教えられることですね。
シナリオスクールは東京にこそそれなりの数がありますが、大阪では2、3校くらい、地方になるとほとんどありません。
物理的な距離のハードルが高いと「ちょっと興味がある」くらいで習い始められるものではありませんよね。家庭を持つ大人の方なら尚更だと思います。
ストアカで教えはじめて1年ですが「こんなに書きたい人がいたんだ!」と、正直驚いています。
私の講座には、日本国内はもちろん、海外からの受講もたくさんあります。本当にいい時代になりましたよね。
「誰でも気軽に始めることができる」ストアカは、たくさんの方の「学びたい気持ち」を満たす素晴らしいサービスだと実感しています。
そして、私も講師として「何をお届けできるのか」
そこを一番大切に、生徒さんと向き合っています。
学ぶことは喜び。学べる自分が好きだから
ー今まで教えたなかで印象に残っているエピソードはございますか?
そうですね、私の講座を受けたあとに「今まで書けない」と言われていた方が「書いてみようと思った」と言ってくださった時は、とても嬉しいですね。
講座の他にも、『ものがたる』という月額のコミュニティを運営し始めました。
50名までを限定として、メンバー同士が顔が分かる範囲のコミュニティなのですが、そこの空気感が運営している私自身も大好きなんです。
毎月、お題として800文字程度の物語を書いて発表するのですが、「生まれて初めて執筆した」という声もお聞きします。
メンバーのなかにはコンクール応募やプロ志望の方もいますし、書いたことがない人もいるので、書くキャリアはさまざまです。
でも皆さん「物語」が好きなんですね。ですので、他の方が発表した物語を読み、学び合える優しい空気が流れているのではないでしょうか。
そして、皆さんが物語に向き合っている姿を見て、私自身もまた「物語を書くって、やっぱり素敵だな」とあらためて深く感じているところです。
ーストアカをはじめて1年ということですが、振り返られていかがですか?また、今後の展望などもございますか?
「よくぞ、ここまで頑張った!」という気持ちが一番大きいですね。
もともとは私、アナログ人間だったんですよ。
パソコンも原稿を書いたり、メールやインターネットをするくらいでした。
オンラインで教えられるようになったのは、私もストアカですごく学んだからです。
パワーポイントの使い方から講座資料の作成、講座の企画や、ストアカ講師として教える方法まで、いちから勉強したんですよ。
そして、学びながら気がついたんです。
学ぶって喜びなんだなって。
そして、学べる自分が好きなんだと。
私の講座に来てくださる生徒さんたちも、きっと「学ぶ自分が好き」なんじゃないでしょうか。
ストアカは、そんな人が集まってきているコミュニティなのだと感じています。
「ストアカを作ってくれてありがとう」と言いたいですね。
私も生徒として学び、先生として教え、ストアカでさまざまな出会いがありました。そして『オンラインで教える』に至るまでに、皆さんストーリーがあるんです。
シナリオライターの性ですね、やっぱり書きたくなるんですよね。
そこで、新たな試みとして、ストアカの先生たちのインタビューを一冊の本にまとめて、電子書籍の出版に初挑戦しました。
東京から大阪に戻ってくるときは「のんびり書いたらいいかな。もう少しゆっくりしよう」と思っていたのですが、オンラインで教え始めたら、めちゃくちゃ忙しくなって、でもすごく楽しくて!
1つの好きなことを通じて、学びでつながる毎日がとても充実しています。
ーあとがきー
生徒さんたちに「熱い先生」と言われるだけあって、数々のご経験を熱量高く、かつ朗らかにお話しくださり、インタビュワーも高揚感に満ちたひと時でした。講座にリピーターが絶えないのは、深い学びはもちろんのこと、楠本先生から溢れる温かなお人柄からパワーも同時に頂けるからではないかと感じました。
楠本ひろみ先生、素敵なお話と楽しい時間をありがとうございました!
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